2012年3月19日月曜日

芭蕉と「足三里」

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。

(月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、
来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である。 )

今も人々に愛され続ける俳聖、松尾芭蕉の「おくのほそ道」は、この有名な序文からはじまります。
自分や、人間の人生、そして時間というものに対する深い考察を短くまとめて鋭く表現していますね。

同じ文の後半に、旅支度のくだりでは、「足三里」という有名な”ツボ”に灸をすえる場面が
下着を繕い、帽子のひもを付け替えるのと同じように大切で当たり前の習慣として記されています。

~もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより・・・

健脚だった芭蕉は、この「足三里」にお灸をしていない人とは決して旅路を共にしなかったとか。

また、江戸時代にはお灸は大人気で、おしゃれで粋な町娘たちの間でもお灸をすえることが
流行していたという説もあります。

近年、この「足三里」は、免疫力を上げる経穴(いわゆる”ツボ”)でもあることが学会などで
発表されています。

自分の足とからだで感動しながら歩んでいけるように、お灸やはりやマッサージで、
これからの人生という旅の支度のお手伝いをさせていただきます。

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「おくのほそ道」 序文
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。 
舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。 
予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、
去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、 
やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、
そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。
もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、
住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、  住まいの方は人に譲り、
草の戸も住替る代ぞひなの家  人の世の移ろいにならい、
面八句を庵の柱に懸置。 


「おくのほそ道」 序文  現代語訳
月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、
去っては来る年もまた同じように旅人である。 
船頭として船の上に生涯を浮かべ、馬子として馬の轡(くつわ)を引いて老いを迎える者は、
毎日旅をして旅を住処(すみか)としているようなものである。
古人の中には、旅の途中で命を無くした人が多くいる。  
わたしもいくつになったころからか、ちぎれ雲が風に身をまかせ漂っているのを見ると、
漂泊の思いを止めることができず、海ぎわの地をさすらい、
去年の秋は、隅田川のほとりのあばら屋に帰ってクモの古巣を払い、
しばらく落ち着いていたが、   しだいに年も暮れて、春になり、霞がかる空をながめながら、
ふと白河の関を越えてみようかなどと思うと、 
さっそく「そぞろ神」がのりうつって心を乱し、
おまけに道祖神の手招きにあっては、取るものも手につかない有様である。 
そうしたわけで、ももひきの破れをつくろい、笠の緒を付けかえ、
三里のつぼに灸をすえて旅支度をはじめると、さっそくながら、松島の名月がまず
気にかかって、 旅立つまで杉風の別宅に移ることにして、その折に、
草葺きのこの家も、新たな住人を迎えることになる。これまで縁のないことではあったが、
節句の頃には、にぎやかに雛をかざる光景がこの家にも見られるのであろう。
と発句を詠んで、面八句を庵の柱にかけておいた。



はり・きゅう治療院 じんじん

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